誰しも生まれたからには必ずいつかは死ななければならない定めです。
そのお別れに臨んだときに、丁寧に精一杯のお別れを惜しみなく行うのは尊い心の表れです。
また、死という不条理なものを受け入れ決別するため、死者の霊を慰めるための儀式でもあります。
葬儀はその究極の心の形を表し洗練された伝統の作法でもあります。
したがって、葬儀は最高の真心を表現した儀礼だといえます。
故人の苦労を癒し生前のご功績をたたえ、ありし日を偲び、限りない恩徳を讃え、多くのご縁のあった方々とも最後のお別れを告げられることは、共に同じ時代を生きた方々に対する、今生最後のご挨拶でもあります。 厳粛なお別れを行うのは、それが人としての真の道だと思うからです。
また 、故人が仏界浄土(善所)に生まれ変わり生き続けるために、仏戒を授け引導を渡し、清らかな心で葬送を行う神聖な儀式でもあります。


 

一般に、私たちは「法事」と言っていますが、厳密に言いますと、住職にお経をあげてもらうことを「法要」といい、法要と後席の食事も含めた行事を「法事」と呼びます。
「初七日」とか「四十九日」「一周忌」ということばは聞いたことがあると思います。
故人が亡くなったあとに行う重要な法要です。
そもそも法要とは、仏になった故人を供養するという意味の仏教用語で、追善供養 ともいいます。
法要は故人を偲び、冥福を祈るために営むものなのです。
冥福とは、冥途の幸福のことで、故人があの世でよい報いを受けてもらうために、この世に残された者が供養をします。
また法要は、故人が設けてくれた人と人とのご縁、「この人がいたから自分がいる」というつながりを再確認し、故人への感謝の思いを新たに、自分自身を見つめ直す場でもあります。
また、故人への供養であるばかりでなく施しをして自分自身の功徳を積むことになります。「中阿含経」には供養をして前項を施せば、施した自分も健康で長寿が授かると説かれています。

 

 

仏教では法要を行う日が決まっています。
死後七日ごとに四十九日まで行う忌日法要(きびほうよう)と、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌などの年忌法要(ねんきほうよう)です。

仏教では、死後七週間はまだ故人があの世とこの世の間をさまよっているとされています。 この四十九日間を「中陰(ちゅういん)」と呼んでいます。
死後七日目から七日ごとに七回、閻魔大王(えんまだいおう)をはじめとする十王から、生前の行いに対してお裁きを受け、四十九日目で来世の行き先が決まるとされています。残された家族は故人が極楽浄土に行けるように、故人に善を送る(追善)法要を営むのです。

年忌法要は極楽浄土に行った故人がさらなる精進の道へと導くために営みます。
一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌とつづき、三十三回忌で長い修行の締めくくりとして、故人は菩薩(ぼさつ)の道に入り、「ご先祖さま=守り神」となります。仏教ではさらに、五十回忌、百回忌と続きますが、一般には三十三回忌、もしくは五十回忌をもって「弔い上げ」とし、法事の締めくくりとしています。

 

仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方があり、命日から四十九日の間に、故人が次に生まれ変わる世界(来世)が決まるとされています。
来世とは、天・人間・修羅(しゅら)・畜生(ちくしょう)・餓鬼(がき)・地獄の六道(ろくどう)のことです。
この間故人は七日ごとに、生前の行いに対して閻魔大王をはじめとする十王からお裁きを受けるとされています。
しかし、この六道の世界はどこへ行っても煩悩の苦しみがあり、それを超越した世界が極楽浄土です。
残された家族は故人が極楽浄土に行けるように、このお裁きを受ける七日ごとに故人に善を送る(追善)法要を営みます。

十三仏は初七日から三十三回忌までの合わせて十三回の法要の守護仏です。故人は十三の仏様に守られて極楽浄土に導かれ成仏するとされています。

 
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